Golden Skate から予め得ていた翻訳許可のもと、昨日公開された安藤選手へのインタビュー記事を ここに日本語で紹介いたします。元記事 Miki Ando "I was just lucky" のURLはこちらです。http://www.goldenskate.com/articles/2009/111209.shtmlなお、日本のファンの皆様にとっての既知事項の一部は省略しました。◆安藤美姫 「運が良かっただけ」 〜Tatiana Flade日本の安藤美姫は派遣GPの両方(ロステレコムとNHK)で優勝し、ISU グランプリファイナルの出場資格を確実にした最初の女子選手となった。
オリンピック・シーズンでの好スタートにもかかわらず、2007年のワールドチャンピオンはあまり自分に満足していなかった。 「もっと大きな試合だったらあのフリーのようなスケートでは勝負できないのはわかっている」と、安藤は自ら語る。
安藤はNHK杯の両プログラムでいくつかのミスをし、フリーではロシアのアリーナ・レオノワに負けてしまった。 「モスクワよりは良い演技をしたかったのに、逆に自分の悪いところが全部出てしまった。 だから勝ったといっても喜びは10%くらいで、残りは単に運が良かっただけだと思う。 喜びに浸れるような状態ではない」と、彼女は言葉を続けた。コーチのニコライ・モロゾフがもう一人の生徒である織田信成と北京での中国杯に行っていたため、安藤は ほぼ1週間ひとりで練習することになった。 「よい練習ができたとは思ったけれど、自信が無かった」と安藤は言う。 「(一人で練習をするのには)まだ自分は力不足だったのかも知れない。」 モロゾフのアドバイスで彼女はショートプログラムでトリプルルッツ・トリプルループのコンビネーションを避けたが、あとでそのコンボをやらなかった自分にがっかりしてしまう。 「トリプル-トリプルはキーポイントの一つだし、これまでたくさん跳んできた。 ここでの(直前)練習で何か欠けているような気がして、心が弱くなってしまった。」21歳の彼女は12月初めのグランプリファイナルに照準を合わせている。 「ファイナルに出られて嬉しいし、それに向けてハードに練習する。メンタル面も強くなりたい」と安藤は言う。 「(GPFの開催される)日本の方たちにもっと良い演技を見せたい。 ファイナルでは表彰台に上りたい。 オリンピックに向けて重要な一歩になると思う。」もしかするとファイナルでは違うショートプログラムを我々は見ることになるかもしれない。 安藤はもともと「夜の女王」をショートプログラムとして選んでいたが、秋に「レクイエム」に変更した。 「最初のプログラムでは蜘蛛のイメージを全部の方には解って頂けなかったように思う」 と選手は言う。 「あるいは我々は(現在の)ショートプログラムを替えるかもしれないし、前半部分だけ変えるかもしれない」 とモロゾフコーチは明かす。 「ジャンプについては、実のところ心配していない。 Miki のジャンプは練習ではとても安定しているけれど、もしかすると、プログラムの出だしのリズムが彼女に合っていないのかも知れない。」選手もコーチも、彼らが「クレオパトラ」と名づけたロング(フリー)プログラムをたいへん気に入っている。 事実、気高く美しいエジプトの女王のイメージは安藤にピッタリである。 プログラムは実際には3つの音楽の切片から構成されている: Rome (TVシリーズのサウンドトラック), Marco Polo (サウンドトラック、Ennio Morricone 作曲、Yo-Yo Ma 演奏), そして Mission Cleopatra (映画 Asterix and Obelix から)。 「クレオパトラは世界中の人が知っている」 と安藤は言う。 「クレオパトラは有名な女王で強い女性、でも同時に恋もして家庭も持った女性。 私は彼女の両方の側面を表現したい。 私は本当にクレオパトラになり切りたいし、役柄を楽しんでいる。」彼女はこれまでに、このプログラムで2種類の衣装を競技で披露している。 ロステレコムでは金色〜銅色の、一方NHKではエジプトのシンボルをあしらった明るい青と金色のコスチュームを着用した。 グランプリファイナルでは3つ目の衣装が試されるかもしれない。我々がファイナルで彼女の有名な4回転サルコウを見ることはたぶん無いだろう。 「4回転の練習はしているけれど、プログラムに入れるほどは今は十分な状態ではない」 と安藤は明かす。 「オリンピックシーズンなので、PCS5項目を改善させないといけないと感じて、夏の間はそこに集中して練習した。 (4回転よりも)まずトリプル・トリプルを確実にしないといけない。 もし私がオリンピックの時にコンディションが良くて、それに全て条件が整って、そこで4回転に挑戦できるなら、こんな嬉しいことはない。 五輪で4回転を跳べたら夢のようだ。」4回転ジャンプが無くても、彼女はバンクーバーでの有力なメダル候補だ。 安藤は 2007年の世界選手権で優勝、しかし 2008年の世界選手権では怪我のためフリープログラムの途中で棄権せざるを得なかった。 脚の筋肉痛にもかかわらず彼女は試合に出ることにこだわったのだったが、プログラムの早い時点で涙とともにリンクを去った。 昨シーズン彼女はカムバックを果たし、ロサンゼルスでの2009年世界選手権で銅メダルを獲得している。(このように)安藤はファイターであり、そのことを彼女は再三証明して来た。 一方、彼女がたいへんデリケートで感情豊かな人間であり、また自分にとても厳しいことは、あまり多くの人の知るところではない。 かつては彼女は試合での緊張から良く泣いたものだった。 「私はプレッシャーを感じやすいし、練習が上手くいかないと落ち込んでしまう」 と彼女は告白する。「私にとってアメリカでの生活は初めはつらかった」 と安藤は明かす。 「私は(最初)英語があまり話せず、他の人が何を言っているのか解からなかった。 でも今はハッケンサックにたくさん友達がいて、私もできるだけたくさん英語で話すようにしている。 どんどん話しやすくなっているし、それがたのしい。」
「アメリカでの生活の方が私には楽、」 と安藤は続ける。 「外出も平穏にできるから。 もちろん日本は大好きだけれど、時々私にとっては居心地の悪いことがある。追っかけ記者が待ち伏せしていて私のことを色々書き立てたりする。」 この点については一時、日本の連盟が報道規制を正式に申し入れたことさえあった。
この2004年度の世界ジュニアチャンピオンがスケートを始めたのは9歳(注:正確には8歳)と遅かったが、その2年後にはもう3回転ジャンプを成功させている。 もちろんそれはサルコウだった。 運動神経の良かった彼女は他にも水泳やバレー、そしてピアノや習字といった色々な活動を試したのちに、スケートに専念するようになる。 「スケートが一番面白かったし、自分を表現するのにベストだった」 と安藤は説明する。名古屋でスタートを切ったころ、彼女は活発な練習仲間に恵まれた。 「小さかったころは私たちはグループレッスンがあった、」 と安藤は思い起こす。 「真央や舞もいて、1日8時間もジャンプを競い合うこともあった! 基本が出来たのはそこらへんだったと思う。 この競い合いはだれが一番多くジャンプを成功させるかのゲームのようなものだった。」ジャンプは安藤を有名にしたが、彼女はより完全なスケーターになるために、そしてよりアーティスティックになるために、努力を重ねてきている。 彼女はバンクーバーの表彰台に上るのに何が必要か理解しているのだ。 「プログラムを完璧に演じること、そして自分にもっと自信を持たないといけない。」 そう安藤は締めくくった。
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