今週末、大阪・なみはやドームで今年最後にして最高峰の国内公式戦、全日本選手権が開催される。 既にバンクーバー五輪代表に内定している我らが安藤美姫選手にとっては、五輪壮行会を兼ねる、例年とは趣きの異なったナショナル・チャンピオンシップとなりそうだ。
GPファイナルの出来を「48%」と自己採点した安藤選手。 妙に細かく点数を刻んだのはある意味彼女らしく微笑ましくもあるが、要はやりたかったことが半分もできていなかったということだろう。 であれば、バンクーバー行きのチケットは既に入手済みとは言っても、安藤選手にとって全日本はやはり檜舞台。 GPF でやり残した宿題を片付ける格好の舞台、即ちバンクーバーへ向けて「実戦でのテスト」という、他の選手やファンでは味わえない貴重な機会として楽しむこともできようか。
そこで、GPF を会場で観戦し、そこから垣間見えた全日本の見所をプレビューしてみたい。
■ たかがジャンプ、されどジャンプ
まずは「原点回帰」、即ち「ジャンプの安藤」が帰ってくるか。
安藤選手は先の LA の世界選手権で「フィギュアスケートはジャンプだけではない」ことを再認識したことは既報の通りだが、そのワールドでも先日の GPF でも ジャンプが予定通り決まっていれば、もうひとつ上に行けたこともまた事実。
そのジャンプとは2つ。
1つは、安藤選手だけが成し得る女子最強のコンビネーションジャンプ、3Lz+3Lo。
このコンビネーションは 4S 習得以前にノービス時代から安藤選手の代名詞になっていた唯一無二のジャンプ。先日のGPF の公開練習でも見事に成功させていたこのジャンプを是非全日本で見たい。
ご存知のようにセカンドジャンプに 3Lo をつけるのは非情に難しい。 男子でもほとんどが 3T だ。 しかも この公開練習では、安藤選手のセカンド 3Lo はファーストの3Lzよりも高い。 高さが得やすい 3T なら珍しくもないが、3Lo であの高さは異次元。 当日の私の席位置はリンクを俯瞰して見る高さにあったが、その位置からでも 3Lo の高さが分かった。 胸のすくジャンプとはこのことだ。
07年全日本での伝説の名演『カルメン』で見せた、なみはやドームの天井をも越えていくようなあの驚愕のコンビネーションジャンプ。 あの高さの再現を同じなみはやで見たい。 跳べば決まる。 その確信を見よう。
そして、もうひとつのジャンプは最も美しいコンビネーション、2A+3T。
これも GPF の公開練習では完璧だった。 3回跳んで3回とも決めた。準備はできている。 未だ記憶に新しい LA の世界選手権での快演『交響曲第三番〜オルガン付』で見せた、目を見張るような美しいコンビネーション。 あの美しさにまた出会いたい。 見たら虜になる。 間違いない。
安藤選手の強くて、美しいジャンプ。これを全日本で再確認したい。
■ 生と死が出会う奇跡のプログラムに刮目せよ
安藤美姫選手は世界を見渡しても稀有なスケーターだ。 そう思わせるのは、安藤選手に備わっている死生観だ。
『レクイエム ニ短調 作品番号626番』
生きとし生けるもの、すべての尊い命に捧げる魂のプログラム。 生まれながらにして伝説となるべく、ただただ魂の発露のために生まれた「叫びのプログラム」は、コンペティション用の非情のプログラムに形を変えはしたが、その内奥に息づく安藤選手の魂は消えようがない。
その魂がいかんなく迸るのがストレートラインステップではないだろうか。 そして、その真髄は実はステップ開始前の「十字を切る振付け」にある。
競技上は恐らく評価の対象にすらならないであろうこの振付けが、その後に繰り出される魂のステップのプレリュードなのだ。 SP において 6秒と言う時間は貴重だ。 その貴重な時間を敢えて安藤選手はそのプレリュードに費やす。
彼女の長く、美しい腕が天を指し、十字を切る。 それは天に捧げる魂の舞の誓いなのだ。
安藤選手のこのステップはジャッジ席に向かって右から左へ進む。 GPF ではジャッジ席に向かって左側の仮設席(東側アリーナS席)に座れば、安藤選手のステップを迎え入れるように見ることができたが、なみはやではこの位置に席が設けられていない。 それだけに、フジテレビは是非、この位置から安藤選手のステップを撮ってほしい。
安藤選手が十字を切って踏み出す魂のステップに正面から刮目しよう。
『クレオパトラ』 (ドラマ「ローマ」、「マルコポーロ」他より)
クレオパトラは女王として君臨し、エジプトの再興に自身を捧げ、そして一人の女性として恋をし、愛に殉じた。 その情熱的で波乱万丈の人生を力の限り生きたクレオパトラに、安藤選手は己が人生を重ね合わせる。
『レクイエム』がある意味「死のプログラム」であるなら、『クレオパトラ』は「生のプログラム」だ。生々しいまでのエネルギーが溢れ出す情念のプログラムだ。
すべての尊い命に捧げる魂のプログラム『レクイエム』、そして、女王として生を受け人間として天に帰った女性の、激しくも美しく燃え盛る情念のプログラム『クレオパトラ』。 これら2つのプログラムの底流にあるのは生と死への畏敬。 安藤美姫という希代のスケーターなくして、この2つのプログラムに同時に出会えることはない。
そういう意味において、SPが『レクイエム』に帰結したのもまた必然だったのだ。
GPFでの衣装はNHK杯のものと基本デザイン&カラーは共通だったが、胸に描かれていたコブラに目を引かれた。 エジプト・プトレマイオス朝最後の女王クレオパトラ7世フィロパトルを演じるにあたり、コブラはとても啓示的だ。
古代エジプトではコブラは太陽神ラーの使者、聖蛇アスプだ。 脱皮を繰り返すコブラは転生の象徴であり、その猛毒は死の暗示でもあるという。 コブラは生と死を司るシンボルというわけだ。 そして、クレオパトラがその豊かな乳房をコブラに噛ませて自らの命を絶ったという伝説もまた有名だ。
GPロシア大会、NHK杯、GPFと、波乱万丈の人生のごとく変幻自在に姿を変えるクレオパトラ。
そして、なみはやの全日本では、いよいよ「黄金のクレオパトラ」が降臨するという。 安藤選手は今度はどんなクレオパトラを見せてくれるのか。 競技を超越したフィギュアスケートの魔力に翻弄される至福が私たちを待っている。
安藤選手が王家の谷に描かれた壁画さながらのポーズでフィニッシュを決めたとき、07年にカルメンが転生したなみはやで、今年はクレオパトラが2000年余の眠りから目覚めるだろう。
■なみはや全日本は PCS で持つ
最後に少しだけデータを見てみよう。いずれもトリノ五輪以降の安藤選手の PCS の平均点だ。(ポイントとなった試合のみ抽出)
06年GP米国大会: 平均 6.95 (SP 7.01、FS 6.89)
07年世界選手権: 平均 7.38 (SP 7.33、FS 7.43)
07年全日本選手権: 平均 7.73 (SP 7.61、FS 7.85)
09年世界選手権: 平均 7.71 (SP 7.43、FS 7.99)
09年GPファイナル: 平均 7.65 (SP 7.65、FS 7.64)
安藤選手の PCS が年々上がってきているのが分かる。 (各国ともそうだが)国内大会はISU大会と比べて高く出る傾向があると言われているが、それを差し引いてもその傾向は変わらない。 「48%」と自己採点した先日の GPF の PCS ですら、パーソナルベストを出して初戴冠した07年世界選手権のそれを上回っている。
専門誌でも紹介されているように、昨季くらいから ISU のジャッジ・トレンドは「要素&PG全体の出来栄え重視」になりつつある。 つまり PCS がますます重要になってきているのだ。 ゆえに、PCS がどれくらい出るかというのもまた、ジャンプが決まるかというのと同様に注目したい。
国内大会ということも考慮に入れれば、SP で平均 8.00以上、FS で平均 8.25以上を期待したいと言ったら強欲だろうか。 否。 そんなことはない。 今の安藤選手であれば、スケートに魂が入れば、自ずと結果は出る。
そして、それを後押しするのが私たちの声援であり拍手だ。 特に『クレオパトラ』のフィナーレを飾る、ゴージャスなストレートラインステップには観客の手拍子がよく似合う。
■
大会最終種目の女子シングルの表彰式後に、五輪代表の残枠が発表される。 バンクーバー五輪代表壮行会も兼ねる翌日の全日本のエキシビション「メダリスト・オン・アイス」には例年以上に晴れやかさが加わるだろう。
安藤選手の出番がどこになるかはまだ決まっていないが、私は最後の最後に安藤選手が登場してくれることを夢見ている。 それも『レクイエム』のEXバージョンで。
それともその夢は四年に一度の舞台の最後の最後に見ることにしようか。
まだ、夢の途中なのだから・・・・。
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