・・そこから白夜の地平線を遠くになぞるような旋律へと導かれる このグリーグのピアノコンセルトの前半は、多くの解説文が語るように、ノルウェーという北欧特有の自然と風土を、一度も訪れたことの無い者にも髣髴とさせてくれる、鮮烈なイメージの喚起力があります。
安藤選手がこの曲に乗ってフリーの演技をするのは、来週に迫ったモスクワでの世界選手権が、(国別対抗戦が1年延期されたため、) おそらく競技としては最後になるのだろうと思われます。
ここまでの6戦を経て、安藤選手との演技上の一体感は試合を追うごとに目を見張るものになって来ていますが、震災を受けて移設された今回の世界選手権での演技には、図らずも このグリーグの名作を滑る意味合い、演技の必然性が大きく加わったと言えるように思うのです。
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グリーグは25歳の若さでこの名作を生んでいますが、その年齢だからこそ、おそらくは啓示と直感とに勢いをまかせて彼の芸術上の本能を五線譜上に ほとばしらせたのだろうと想像されます。
ですが、この協奏曲に託された意味上の構成には強く明白な意志が貫かれていて、単純化を恐れずに言えば、自然の無慈悲ともいえる 人間を越えた尺度への畏敬と、それにもかかわらず人間がその地に抱く希望、夢を明日に託す胸の高鳴りとのコントラストが力強く据えられているのだと思います。
彼の出身国ノルウェーの北半分はツンドラ地帯、フィヨルドの地形もそうですが、自然が人間に示す姿としては、最果てのシュールな非現実感すら漂います。 その中で描かれる「生」への意志、グリーグのこの作品の第3楽章には春の予感が満ち溢れ、長く抑鬱的な冬を自らの力で克服する私たち人間の勇気が渾身の力で謳歌されてるのを感じます。
いや、仮にこの解釈がグリーグの意図と一致していない可能性があるとしても、安藤選手はおそらくほぼ直感的に同様な「克服」の喜びを、プログラムに託して舞ってくれる、そう勝手ながら思うのです。
安藤選手もまた「克服」を自ら体現してきたスケーターだからこそ、ファンがこうした思い込みを寄せて観戦するのも許されることと願い、またそうして観る者の多くが安藤選手の演技から元気と力を得ることを希望したいと思います。
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世界選手権は いよいよ来週開幕と迫りました。
公開練習のグループ分け、ショートプログラムの滑走順、等、新しい内容が発表され次第、前エントリーの該当箇所を修正しますので、逐次ご確認ください。